レザン俱楽部「カフェ・レザン」に掲載されたコラムです。
私は中学を卒業したと同時に故郷である長野を離れ、音楽大学付属高校に入学の為、上京した。
故郷を離れたことで、初めて親への感謝の気持ちを知った。 後に故郷に戻ってきのは9年後。まだ大学院を修了したての私は見えない将来に不安を抱き、このまま井の中の蛙になってしまうのではないかと悩んだ。
周りから「地方に篭っていてはもったいない」と言われ、その言葉に揺らぐ自分がいた。海外で自分を試してみたいが、勇気も無く、言葉にも自信もなく、一歩踏み出せない自分がいた。
しかしその劣等感を持ち続けている自分自信に嫌気が差し、悩んでないで行動してから考えればいいのだ、と自分に言い聞かせて思い切ってアメリカの大学を受験した。
そもそも私の挑戦癖はここから始まったのかも知れない。
そして1年後、ニューヨークのマンハッタン音楽院へ留学し、私の世界は一転した。 最初の1年は東京とは比べ物にならない個性の強い大都会に飲まれそうになりながら、何とか自分を主張するのに一生懸命だった。
ニューヨークは好きだったが、日本も恋しかった。日本を離れてみて、日本人である自分を初めて意識し、情緒だとか、消滅の美などの日本的な美しさが初めて分かったような気がした。
アメリカでの言葉の壁もこえ、ようやく自然に生活できるようになった頃、今度はヨーロッパの様々な音楽祭やコンクールに参加し、各国の音楽や文化にふれ、アメリカとは違うその重みに驚愕した。
その後、アメリカ、ヨーロッパ、日本を行き来するうちに、また、いろいろな国の作曲家と交流し、彼等の作品を演奏していくうちに、ヨーロッパ諸国の音楽の違い、アメリカ独特の音楽、そして日本の音楽それぞれの良さを感じることができるようになってきた。
もちろんまだまだわからないこともたくさんあるが、そのものの価値や物事の特長は、そこから離れてみて初めて際立ってくるのだと知った。
今、再び故郷の地である長野に身を置いているが、ここで感じるのは故郷の音だけではない。海外で体験した様々なカラフルな文化や音たちもちゃんと感じる。
今も周りから、「地方にいると、刺激が無かったりして、音楽活動としては不便なのでは?」と聞かれることが多いが、私の心はもう揺るがない。 自信を持って「ベストな環境です」と言うことができる。 移動はどこにいても必要だし、フットワークは軽いので、この間なんかは長野とニューヨークを短期間で2往復もしてしまった。
音楽に集中して創作活動をするとき、私の場合、都会の騒音やストレスに紛れていてはその活動も難しい。都会の刺激は十分経験したし、これからの演奏旅行でも感じることはできる。自然の音が溢れるこの地、生まれ育ったこの土地だからこそ、私は集中できる。この地にいながら、今まで経験したヨーロッパやアメリカの風を感じ、音楽に表現することができるのだ。
それに昔と変わらず応援してくれる家族、先生方、そして地元の皆さんがいる。
実は昨年、ようやくマリンバソロアルバム「My Favorite Things」をリリースできたのであるが、全ての作業は長野で行った。選曲、アレンジ、録音など、地球上のいろいろな土地に想いを馳せながら作った。
自分では特に意識しなかったが、結果的にマンハッタンの香りがするアルバム、ニューヨークがつまった一枚、と言って頂けるようになったのはとても嬉しかったし、今までに無く集中できる環境で、もの作りができた結果だからじゃないかな、とちょっとだけ自負している。
「井の中の蛙、大海を知らず、されど空の深さを知る」
私は今、故郷の空の深さを感じることができる。掛け替えのない深い深い澄み切った空だ。 そしてこの空はちゃんと世界に繋がっている。私はこれからも、大海の雄大さと同時に、故郷の空の深さを音楽に映して行きたい。